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我が家のごはん炊きのお釜の紹介

2022年4月1日

うちはかれこれ15年以上、お釜でご飯を炊いている。最近はそんな人も増えたようである。
最初は萬古焼きの土釜であった。次に純銅製のもの。すっかり慣れてしまい電気炊飯器には興味がなくなった。だって炊き上がり早いもん。
# なお当方はお米の味には全くうるさくない。むかし登山で食べた数々の失敗ご飯に比べればどれも天国である。


萬古焼 土釜 Do-gama 3合炊き

# 製造元は四日市市の三陶と思われる

15年以上前に、三越かどこかで見かけて一目ぼれ。

なんと言っても、形が異形である。

通常土釜やお釜の類は丸っこい形をしているのだが、こいつは昔の土器のような、縦長の形をしていた。

一般の炊飯釜は全体としてつるっと綺麗にできていて、いかにも工業製品だがこいつは取っ手の所に、滑り止め用に手でつけたような凹みがあるし、蓋の閉まりもガタガタだし、蓋の取っ手が、「土を丸めて棒にしてみたよ~」感がすごい。


なんというか、全体として子供ががんばって作った感がある。
そしてすごい重いすごく肉厚。本体も重いが、蓋がつけもの石的な重さである。


最初手にとって、値段が高いので一旦戻したが、やっぱり引き返して買った。
まあその時一緒にいたのが今の連れなんですが、よくわからんが何かの縁かも知れない。


現在ではこの土釜は検索してもほとんど出てこない。
萬古焼 Do-gamaで検索すれば出てくるが黒釉でない、わら灰の方は探すのが大変でレアなものとなっている。


これの良い所は、水を1合あたり200mlにして最初からシングルバーナー強火全開。吹いてきたら火を止める。と言う、超シンプルな炊飯方法にある。
全部強火全開で行くと、かなり周囲と蓋の上に吹き零れが出るが、お構いなしで行く。ここで火を弱めたりすると駄目である。本格的に吹いてきたらガスを止めるだけ。
「こんなんできちんと炊けるのか?」と当初疑問だったが、石は比熱が大きい=温まりにくく、冷めにくいうえに、この肉厚である。相当な蓄熱量があると思われる。


これで全く失敗無し。火を止め忘れなければ焦げもなし。


ある日、珍しく私が夕ご飯一式を作ってみるという、大変危険なイベントが開催された。
並行処理できないので色々てんぱりながらやっていると、
ご飯をいつもと違い、ダブルバーナーの強火全開でやってしまった。それで、あっという間に吹き零れたので、やけに早いな?と思ったがいつものように止めてしまった。
ふと中を開けてみたら、中はまだべちゃべちゃで連れに「しまった。。。急いでいたのでご飯炊くの失敗した。。。」(真っ青)「パックのご飯なかったけ、、、」連れ「いくらなんでも止めるの早すぎでしょ?!」「うん。違う釜で炊きなおすわゴメン」って事があった。
今までご飯だけは普通に炊けるのが唯一の自慢だったのに。。。半べそ。。。

で、なんとかおかずも違う釜で炊きなおしたご飯もできたら、こっちも普通にできてた。
蓄熱量がすごいのでこんな芸当もできるのだろう。


なお、中がザラザラしているので、ご飯がくっつかず洗うのが簡単なのもポイントが高い。
多少落っことしたこともあるが、超頑丈で壊れそうもない。今でも時々使っている、死ぬまで持ちそうである。(笑)


ごはんはどうだ 5合炊き


子供が増えて3合炊きではどうにもならなくなった。で、ガス炊飯の予想以上の手軽さを知ってしまってから、次は羽釜を考えたのだがどうもピンと来るものがない。
どうしたもんか。。。
む、純銅製のこれがヒット。ご飯をおいしく炊く為の工夫がこらしてあり気に入った。


ただ、値段が高いなあ。。。

そもそも銅は高級素材なので鋼材として単価が高いのだから仕方ない。銅製のフライパンや鍋はみんな高いし。連れに聞いたら「いらない。高すぎる」って言うし。

でも他に気に入ったものが無い。いいや買っちゃえ!

土釜も電気炊飯器に比べたら早いと思っていたが、こっちはもっと早い感じ。
蓋が二重になっているので吹き零れはほとんど無い。あっても少し。
中はテフロンでさっと洗えるし、蓋もステンレスで清潔を保てる。取っ手の木にはガラスコートがしてあり、水が吸い込まない。
火もいじらなくて良いし、毎日のように愛用していた。

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2年位前に高いところから落っことして、変形し底のテフロンの一部が剥がれたりしてしまったが、炊飯には何も問題なく使っていた。


ある日、連れが突然「金属むき出しは人体に有害なんじゃ?」とか言い出して、再テフロンを製造元に聞いてみたら安価で釜を交換してくれると言う。

買い換えるよりずっと安いし、8年以上使ってるんだよ、神対応と思う。


ちなみにこの有害云々は全くのデタラメとわかった。何でもテレビでやってたとか。

プロはむき出しの銅製のものを良く使っているから、あたりまえといえば当たり前だが。
ミスリードもいい加減にして欲しい、と思いながら今日もお米を研ぐのであった。


以下、余談



それは「映像で見せられると疑う事は難しい」と言う事である。もっと言ってしまえば、「見せれば、それはその通りだと無意識に認識する」と言うことである。さらに言わせてもらえば「だってテレビでやってたよ」である。


例えば役者によるヤラセであろうと、恣意的に切り抜いた写真やカットされた映像・不自然な形でデフォルメされたグラフ・意図的に操作された図などであっても、我々は見せられると無意識に「本当の事」と、信じてしまうようにできてるらしい。
タネのある手品で大変驚く理由を考えてみて欲しい。


ここに他の情報と違う大きな問題がある。


哲学者フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」あたりを大昔に
若造らしくかぶれて読んだ経験から言えば、「知覚は本質に先立つ」という「感じ」である。

# フッサールの主張はそんな事ではないとか、知覚=視覚ではないのでは?とか、哲学的ご指摘はご勘弁いただきたい。


なお、現象学は「現象学入門 NHKブックス 竹田 青嗣」が大変わかりやすく、おもしろい。何度も何度も読めて、あとがきまで感動した哲学書はこれが始めてである。万人に強くおすすめする。